Vol.37

        藤本巧さんを訪ねる 2008.9.13
 
   石川病院でお薬を貰うための診察を待っていると、隣に座っていた人に「梅錦の社長ですか。」と声をかけられました。「新宮に梅錦を毎日飲んでいるお爺ちゃんがいるので、会いに行きませんか。」と言われました。来週の土曜日13日9時に迎えに行くからと約束しました。(あさひな)さんだと口頭で聞いていました。迎えに来ていただいた時に名詞をもらいました。新宮建設株式会社:代表取締役・朝雛雅晢でした。名前の晢は哲だと思いこみ、読み方を尋ねませんでした。
 新宮までは20〜30分ですが、行く途中、話しながら行きましたが、そのお爺ちゃんは、お酒を飲む笑顔が素晴らしいので、会ってもらいたいということでした。
 途中に梅錦を売っている玉屋というお店があるからといわれましたがわかりませんでしたが、寺内小学校の上にあり、主人が学校の先生だったといわれ鈴木美代子さんだと分かりました。会社に登録されているのは免許名義です。お店には20年以上訪ねてないと思います。去年、帯状疱疹を患って顔に傷が残っているからと言って、写真は撮らせてくれませんでした。


 すぐ近くに素晴らしい彫刻がある安楽寺を案内してくれました。この素晴らしい彫刻は江戸末期に徳島で大飢饉があった時、住職が助けたのでそのお礼に寄進された本堂だという話です。最近市報に紹介された記事を読んだことを思い出しました。
 隣の稲茎神社がありました。ここの本殿もお神輿のような手の込んだ作りでした。
 途中、崖崩れで無くなった瑜伽神社と大山神社の鳥居と祠を再建したところにより、明日お祭りだと説明してくれました。
 藤本巧さんには連絡せず、突然の訪問だと聞いていましたが、まあ上がれと招きあげてくれ、すぐ「冷が良いか、燗か」と尋ねられました。燗が良いというと「わしも一年中燗よ」と燗をつけてくれました。
 朝雛さんの自宅は私のうちから数百メートルのところにあり、新宮建設に通勤しているそうです。藤本巧さん宅がある泉田の出身で、良く来られている様子でした。近所の伊藤さん、木浦さんを呼んで良いかと、わざわざ私の断っていただき、伊藤さんは電話で、木浦さんは下の田圃に呼びにいってくれました。 私は名刺代わりに栄冠1升持っていっていましたが、藤本さんが納屋から栄冠を持ってきて、「どっちでもいいんだが」といいながら、納屋の栄冠を燗付けに台所に行きました。
 お二人が来られ飲み始めました。コップが足りないので藤本さんはどうするのかと思っていたら、一合ビンそのままで飲みました。    
 アメリカでビールをビンのまま飲む習慣がありますが、藤本さんも、その飲み方でした。そういえば私の前に最初から一合ビンを置いてありましたが、コップが無いのでどうしたものかと思っていました。藤本さんが飲み始めて、一合びんから直接飲めば良かったことが分かりました。
 10分もした頃「明日のお祭りの用意ができたか」と、もう一人の藤本さんが来られました。上がるようにいわれて、「単車のエンジンを止めてるわ」と下の道まで行きました。朝雛さんは運転してきているので飲めません。申し訳ないと思いながら5人の酒盛りになりました。
 集まった皆様の年齢は私をそんなに違わない人達だろうと思います。一声かければすぐ近所から集まってきて、「嫌いなほうじゃないからの」と美味しそうに飲み始めました、午前中から飲むことには何の違和感もなさそうでした。朝雛さんが来る途中、泉田のお祭りは当屋の家が炊いたご飯を大きな握り飯にして、食べるのだと、来る途中説明してくれていました。それと同時に「日本酒は、もう一度原点に帰らなければ」と注意しくれた意味が理解できました。帰りに嵯峨野地区の素鵞神社の境内にある集会場の床下には梅錦の栄冠・栄照の空瓶ばかりでした。私は親父から新宮は梅錦の一番大事な地域だと教えられたと説明していましたので、いまもそれが続いていたのでほっといたしました。

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