| 久しぶりに写真のことを考えた。
今年は春先から様々な雑用や仕事に追われて、なかなか気持ちが写真に向かわなかったのだが、先日、といっても随分前のことだが、何気なく拡げた新聞の広告写真がわたしの心のスィッチをオンにしてくれた。
それは、どこか田舎の古い家並みの残る街角、一人の老婆(失礼)が少し緊張しながらもゆったりとカメラのまえに佇んでいる写真で、その表情といい立ち姿といいこんな素敵な写真はめったにあるものではなかった。広告写真なので多少の演出はあったにせよ、そんなことはどうでもいいと思わせるくらい良い写真だった。カサカサに乾いていた私の、あるかなしかの感性も徐々に水を含んで潤いを帯びてくるようだった。
ところで今まで細く長く写真と関わりながら常々感じていることがある。それは“いい写真には気が満ちている”ということ。
例えばアジェ。(Eugene Atget。大型カメラで19c末〜20c初頭のパリとその近郊を乾板に定着した写真家。残されたネガは1万点にも上るといわれている。)そのアジェの写真には気というか気配というか、言葉では表現しがたいエネルギーのようなものが写しこまれているものが多数ある。それはたぶんに100年前のパリの古い町並みの持つ霊気のようなもののせいでもあるだろうし、アジェが好んで使った鶏卵印画紙の独特なふうあいにもよるのだろうが、やはりアジェの眼の力と表現の確かさ、なにより“気”を捕らえるアンテナの感度の良さがあったからではないだろうか。
アジェは、近代化によって失われていくパリの街を、写真で記録し後世に残すという使命感を持っていた。そしてまた、それらを美術館や公立の図書館あるいは職人、画家その他の人々に売り、日々の糧を得ていた。30年にわたり撮り貯めた膨大な写真群は歴史的資料として一級のものである。アジェは記録を第一義とした。しかしだからといって、彼がただ単に眼に映る事実のみを客観的に記録しただけ、とは限らない。むしろ私はそこに客観と程遠いアジェの恣意性をみてしまう。彼が本当に記録し残したかったもの、それはすべての人に了解されるような客観的事実などではなく、彼と街や樹木、生活の中での様々な事物との交感をこそ残したかったのではないだろうかと。彼のあの不思議な“気配に満ちた”写真は偶然のものではなく、かなり意識的に狙って撮ったものだと思う。街角で、公園で、向うからやってくる何かをジッと待っている。光が動き、風が少しだけ変わってくる。音が絶え、自分が眼だけの存在と化したとき静かにシャッターをおとす。神秘が姿を現す。写真で例を挙げられないのは残念だが、「サン・クルー公園」や「ヴァランス街の中庭」の自動車、「ドゥレセール公園」の木を撮ったときのアジェの快哉が眼に見えるようである。彼がある時期アンドレ・ブルトン等のシュールレアリズムの作家たちから熱い視線を浴びながらも、それにくみしなかったのは当然であろう。何故なら、シュールレアリスト達にとっては“表現は無意識の発露”でなくてはならないから。彼は確信犯なのである。無意識ではないのである。彼は生前、自身の写真の説明を拒み、またそれを指して「単なる記録にすぎない。」と言ったという。しかしそれは何の記録なのか。
たった一人の弟子も助手も持たず、大きなカメラを抱えてパリの街を歩く初老のアジェ。その瞳の奥にある情熱と透明な狂気、ある種の諦念が私を魅了する。
記録者としてのアジェはすでに多く語られている。そろそろ表現者としてのアジェが語られてもいい頃ではないか。
今回は妙にシリアスになってしまった。肩に力が入っている。本当は冒頭の老婆の写真について書くつもりだったのだ。あの老婆の写真が何故良いのだろうと考えているうちに、話がどんどんアジェのほうにすすんでしまった。それもこれも久しぶりに写真のことを書いた、いや書かなければならなくなったせいだろう。調子が狂っている。ようやく年の瀬になって、夏休みの宿題を提出した気分。
で、次回はもう一つの良い写真の条件、“物質的恍惚”について。なにか凄そうでしょう。でもあまりたいしたことは書けません。いつものコケオドシです。
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