| 私は愛煙家だ。ヘビースモーカーでもチェーンスモーカーでもないのだが、タバコがないとどうも落ち着かない。せいぜい一日に12〜13本のニコチンで十分満足できるごく普通の、節度をわきまえた愛煙家だ。
ところで先日、近所の寄り合いがあったときのこと。話しがなかなかまとまらず時間だけがどんどん過ぎていった。そのうちとうとうたまらなくなった私は、一服するためにそっと席を立った。ところが、それを目ざとく見ていた人がいて、会合がお開きになったあとで後ろから私の肩をポンとたたいて
「タバコをやめたのかと思っていたら、まだ吸っていたのですね」
「いやあ、なかなかやめられないですよね。私も苦労しましたよ」
などといろいろ話しかけてきた。
こちらも、「そうですね」とか「ホー」とか適当に相槌をうっていたら、しまいには「タバコをやめられる良い病院を紹介しましょうか」と言うような話になってしまったので、これはマズイとほうほうの態で逃げ出した。
どうも私がタバコをやめたくてもやめられないカワイソウな人だと思っているらしい。私は好きでタバコを吸っているのだし、当分の間やめようとは思っていないのだ。タバコを吸っている人の中には、やめたいと思いながらやめられない人と、やめることなどハナから考えていない人の両方いる。
親切で正義感の強い彼には、どうもタバコを吸っている人はすべて前者に見えるらしい。話の途中で「私はタバコをやめたいとおもっていません」と言えばよかったのだが、それは言えなかった。なんだか面倒くさかったし、それよりもしもそう言えば話はどんどん核心部、つまり健康のことだとか、意志の強さの問題だとか、はたまた国益の問題だとかややこしい方へ進んでいくにきまっている。そうなるととても私に勝ち目は無い。その場をそっと離れるのが良策というものだ。
私の友人のなかで、タバコを吸っている数少ない一人がこんなことを言っていた。「嫌煙運動は宗教や」、「いまや既存の宗教を上回る勢いで世界中を席巻しているで」 なるほど宗教か、そうかもしれないと思った。
「受動喫煙という武器を手にした彼らは向かうところ敵なしや」とも言う。
これもたしかにそうだと思えた。
我々愛煙家は改宗を迫られている。もし改宗を潔しとしないのならば、逃げるしかない。 でもどこへ逃げるのか。
そのうちどこか人里離れた山奥か絶海の孤島で、愛煙家が寄り集まって「アイエン共和国」かなにかをつくって、ひっそりと暮らしていくしかなくなるのかもしれない。 あー、また私のいつもの誇大妄想が始まった。
そこでチャーチル。
といっても突然のことで何のことかお分かりにならないと思うが、実はカナダ人のユセフ・カーシュという人がチャーチルを撮った有名な写真のこと。もちろんチャーチルとは例の大英帝国最強の首相。ステッキを片手に不機嫌そうな顔で、挑みかかるようにカメラを睨みつけている写真。多分、あーあの写真か、とご存知の方も多いはず。真偽のほどは確かではないがそのときのエピソードがある。
チャーチルのポートレートを撮るとき、写真家カーシュはあろうことかチャーチルがくわえていた葉巻を取り上げたのだという。
うーん、すごい。それは怒る。チャーチルでなくても怒る。
しかしそれでカーシュは凡百のポートレートをはるかに凌駕する1枚の傑作をモノにすることができたのだから、やはり何事も怖がらずにやってみるものだ。
チャーチルももちろん笑うときもあっただろうし、寛いでいるときもあっただろう。でも私にはあの睨みつけるようなカーシュの写真がいちばんチャーチルらしい写真だと信じている。
愛煙家のはしくれである私はこの写真がたまらなく好きだ。いとおしい。チャーチルさんの気持ちが良く分かる。
どのような世界、どのような集団にも過激な人たちはいるものだ。近い将来、もしこの写真が、その一部の過激な嫌煙家によって踏み絵として使われるようになったらどうだろう。江戸時代の隠れキリシタンではないが、隠れ愛煙家を探し出すための踏み絵として使われるようになったら。気の弱い私などは思わず踏んづけてしまうかもしれない。
そうなる前に私としてはやはり「アイエン共和国」へ行くしかないのか。
一国の首相が堂々と葉巻をくわえてカメラのまえに立っていたという事実、たかだか数十年前ことだが、そういう時代もあったのですネ。
この写真、梅錦山川の「スペースゆう」に展示しています。
大きなプリント。半切とか全紙とかそんなケチくさいサイズではありませんよ。
1メートルを越すような大きさ。怒るチャーチル、迫力があります。是非見に来てください。愛煙家も嫌煙家も、そのどちらでもない人も。
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