トップページへ
ギャラリースペースゆう
いよの風通信 エッセイ
お問合せ
写真の愉しみ Vol.2
 「男の沽券」

今日は、人は物が欲しくなると、それが手にはいるまではいかに智謀・策略をめぐらし、なりふりかまわず哀願、恫喝、脅迫の限りを尽くすかというような少々品位に欠けたお話をすることになる。人と言ってももちろんこれは私個人のことであって、これをお読みの諸兄諸姉のことではない。
時は元禄14年、いや昭和57年、夏。所用で上京していた私はたまたま半日ほどの空き時間ができたので現代美術の展覧会を見るために池袋の西武美術館を訪れた。ジャスパー・ジョーンズや荒川修作の絵をゆっくり堪能したあと、いつものように隣接された美術専門の本屋アール・ヴィヴァンに立ち寄ることにした。これは私のいつものお決まり、お気に入りのコースなのだが、この本屋は芸術関係の書籍の品揃えでは当時世界屈指と言われていた本屋で、その頃では珍しかったミュージアム・グッズも数多く取り扱っていた。美術館の出口を右に曲がってまっすぐアール・ヴィヴァンのほうに向かうと、その正面のところにイーゼルに乗せて飾られている写真がいきなり眼に飛び込んできた。ダ、ダイアン・アーバスだ。足早にちかよってみる。やはりアーバスだ。「A young man in curlers at home」と題された約30cm角の写真で、今まで何十回、何百回と写真集で眼に焼き付けたおなじみの写真だった。なぜこんなところに。さらに、眼を皿のようにしてみる。よくみるとこれはニ―ル・セルカークというイギリス人がアーバスの死後に焼いたオリジナルプリントで、おまけに売り物ではないか。確かに欧米のギャラリーなどでは写真が美術品として扱われ売買されているのは知識として知ってはいたが、目の前にプライス・カードをぶら下げて展示されているのを見るのは新鮮な感動だった。欲しい。価格は24万円。安くは無い。その金額が写真のプリントの代金としては高いのか安いのか皆目分からなかったが、妙に妥当な金額のような気がした。うん、そんなものだろう。こんなとき人は、いや私は何の根拠も無く強引に自分の都合の良い解釈をする。くりかえすが決して安くは無い。が、買おう。買うぞ。発見から観察、考察を経て決断にいたるまで1分間。買うときもやはりそんなもんだ。ところが困ったことに当然ながら24万円という現金など持ち合わせていないし、カードなどという便利なものも持っていなかった。そこで一番物分りのよさそうな店員さんを選んで恐る恐る交渉してみることにした。結局、頭金4万円で残りは後日銀行振り込みということで決着。この店員さんは良い店員さんだ。よーし、手に入れた。まずは最初の関門は突破した。後は細君にどのように言い訳をするかを考えるだけだ。なにしろ私はその当時7年間勤めた会社を辞めて無職・無収入だったのだから。
帰りの列車の中で考えた。知恵を絞った。無い知恵を絞りに絞った。まずは敵の機嫌の良いときを見計らって、さりげなく美術や写真の話をしてみよう。そうだ敵の好きなルノアールが良い。それから徐々に写真の方に話を持ってきてアーバスという写真家がいかにルノアールに似ているかを話そう。(本当はぜんぜん似ていない。)敵がのってきたら、オリジナルプリントの価値についての薀蓄を傾け、それが他の美術品、絵画や陶磁器と比べて如何に安いか、不当なほど安いかを言いつのろう。きっと敵もそうだそうだと義憤を感じるはずだ。そしてここで初めて、おもむろに東京で出会った写真の話を出してくる。ただし、その被写体のことは決して口に出してはいけない。だって頭にカーラーを乗せて化粧をした男の写真と分かれば今までの努力はパーになる。下手をすれば何が飛んでくるか分からない。ここはひとつルノアールの豊満な裸婦、とまではいかないまでもナイス・ボーイくらいにしておこう。そしていよいよ、「一目惚れだ」、「運命的な出会いだ」、「最後のチャンスだ」と細君にも言ったことの無いような言葉をたたみかけるように並べる予定だ。なんなら、眼にうっすらと涙を浮かべても良い。男の沽券などくそ食らえ。よし、大丈夫だ。完璧だ。
えっ、それで上手くいったかって?
もちろん。この最初の1回だけ。計画は完璧であればあるほど、その持続は難しい。壁のナイス・ボーイはいまも沽券をなくした私を冷ややかに見ている。

 2006.12  (ジャッキー天野)


■『Iyoの風マガジン』は愛媛”伊予”の梅錦より発信しています。