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ギャラリースペースゆう
いよの風通信 エッセイ
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企画展示
ドキュメンタリー写真の流れ

 まずブラッサイから。この名前、カリスマ的だがちょっとインチキっぽい。本名ギューラ・ハラス、ハンガリー生まれ。ブラッソから来た男という意味だそうです。
1924年、同郷の写真家ケルテスを頼ってパリに出てきたブラッサイはそこでピカソ、ブラック、ミロなどと親交を結び、次第に写真家として認められていくことになります。彼らの肖像を撮る一方で、夜のパリ、未知のパリに魅かれそれをフィルムに定着してゆきます。今回展示してある写真はその時のもので、パリで生活している様々な階層の人たちをいきいきと映し出しています。ここには何か古いフランス映画を観るようで、よき時代のパリ、ロマンティックで少しスリリングな私たちの憧れのパリがあります。
ところでアッジェという写真家をご存知でしょうか。ブラッサイよりわずか30年ほど前に、やはりパリを撮った有名な写真家です。彼は19世紀末、変貌していくパリの姿を写真に残すため不自由な大型カメラをかかえ、数千点に及ぶ乾板を残しました。彼の撮ったパリは静かで,威厳があり,記憶のひだにしみ込むような情感があります。写真の対象は街角であったり、公園であったり、樹木であったりと主題の中心はパリの街自体です。ひきかえブラッサイの関心は人、生活です。二人の間に横たわる30年間。その間には、古い歴史の町パリ、建物も道路も現在ほど大きく変わっていないでしょう。
それでもこの写真の違いはどこから来るのでしょうか。ほとんど人と交わることなく一人孤独に写真を撮り続けたアッジェと、社交的で野心に満ちたブラッサイ。残された写真には決定的な違いがあるように思われます。いずれ「アッジェのパリとブラッサイのパリ」という企画も考えていますが、もしかすると、これ以前にやったかな。
 アンリ・カルティエ=ブレッソン。もしあなたが、うーん、なにか貴族のような名前だなと思われたなら、あなたの直感はまったく正しい。フランスの名門の家系に生まれた正真正銘の貴族です。
少年時代から絵が好きで、画家になることを目指していましたが、1930年代初頭、ふとしたきっかけで小型カメラのライカを手に入れてからは写真の世界にのめり込んでゆきます。フランスはもとよりアメリカ、メキシコ、アジアなど世界各地を旅し、後世に残る傑作を次々と残してゆきます。1947年にはキャパやシーモアたちと写真家集団マグナム(鉄砲ではありません)を結成。まさにその時代をリードしたビッグ・ネーム,真打なのです。彼の名前は知らなくとも、彼の写真はきっと誰もが一度は眼にしたことがあると思います。確かな構図と、この瞬間しかないのではと思わせるシャッター・チャンス。この構図でこの瞬間に。画家を目指していた才能はやはり非凡なものです。ユーモアやウイットにあふれ、すばらしいバランス感覚とインテリジェンスはまさに写真の王道を行くものでしょう。
ご年配の方々には神様のような存在で、ブレッソンをお手本に写真を撮っていた人も数多くいたことでしょう。



■『Iyoの風マガジン』は愛媛”伊予”の梅錦より発信しています。