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しかしここでもまたひとつ困った問題が出てくるのです。「客観的」、「脚色」 という言葉です。今回この企画で取り上げたロバート・フランクやウィリアム・クラインの写真は、かなり個人的(パーソナル)な視点で撮られたものであり、必ずしも客観的とは言い難いのです。フランクの恣意的なカメラアングルとシャッターチャンス、クラインの脚色性の強いブレやボケ、にじみの多い写真。これらは正当なドキュメンタリー写真とは確実に一線を画しています。
そもそもブラッサイやブレッソンからウィノグランドまでを「ドキュメンタリー写真の流れ」として一括してしまうことに無理があるのかもしれません。が、そういってしまいますとこの企画自体の存立基盤がなくなってしまいますので、ここはひとつ無理を承知であえて次のように定義してみました。えー、ドキュメンタリー写真とは「社会性がある出来事を広く世間に知らせる意図で、できるだけストレートに写され、その対象の向こう側になんらかの目的を仮定して撮られた写真である」と。
うーん、我ながら何かたいへん日和見的で中途半端なずるい定義のようで恥ずかしいのですが。とにかくこのように定義してみますと、当初の「事実をありのままに」という言葉がまったく消えてしまっているのに気づきます。
事実とは物が存在するという事実なのか、物との関係つまりコトが事実なのか、はたまた私たちの五感が認知することが事実なのか。これ以上深く追求していくと、デカルトしたりサルトルしたりすることになり、とうてい私の能力の遠く及ばないところになってしまいます。で、エポケー(判断中止)。 とにかくドキュメンタリーを私流に定義してみました。そうしないと落ち着かないし、前に進めない。
私は心配性で小心者なのです。
さて肝心の写真展。
この企画展では、6人の写真家が選ばれています。ブラッサイ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、リー・フリードランダー、ゲリー・ウィノグランドの6人です。ここには当然代表的なドキュメント・フォトグラファーとして知られているウォーカー・エバンスやドロシア・ラング、ユージン・スミスなどが入っていません。これはただ単に梅錦写真コレクションの手薄な分野、写真家たちというだけで何も意図したことではありません。しかし、ここに選ばれた写真家たちは正統なドキュメント・フォトグラファーとはよばれないかもしれませんが相当におもしろい。
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